2010年 05月 09日

燃やす!

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捨てるモードに入っている。

「自分が本当に好きなもの、それを持っていてハッピーになれるもの以外は捨てる」
「本当に必要なものだけ取っておく」
というアドバイスを受け、ようやく重い腰を上げて、たまりにたまったモノの処分に着手する。





途方に暮れるほどの物量を捨てながら、ものを捨てられないという気持ちの底には、「罪悪感」があるんじゃないかと思った。

ゴミを作り出す罪悪感。
まだ使えるのに、そんなに使ってないのに捨てる罪悪感。
せっかくいただいた物を手放す罪悪感。
ちゃんと完遂されていないで放置されているものへの罪悪感。

思い出に対する裏切り感もある。
主に、それらを手に入れた瞬間への執着。

高かった、とか、手に入れた時の喜びとか経緯とか、
もらった時の相手の顔とか
その情景がビビッドに思い出されるものを、ばっさり切ってしまう罪悪感。

あとはある種の見栄とか寂しさとか危機管理みたいなもの。
もうこの先再読する予定はないのに、「いつか読むかも」なんて、なんとなく本棚を埋めている本やCDとか、
もう長らく袖も通してないのに「なにかの時に着るかもしれない」ちゃんとした服、とか。

「いつか」っていつ?「どこか」ってどこ?と冷静に考えてみれば、いままでになかったことは、これからも起こる確率は低い、という訳で、別になくたって困らないものばかり。

それに、何かに対する義理で取っておいたモノは、見る度に、心のどこかが「あーあ、そういえばこれね…」と無意識にため息をついているような気がする。ほとんどは、そんな惰性で場所を塞いでいるという現実。

…つまり、どれもこれも要らないってことじゃん!

と、突然コツがつかめてきて、捨てるが加速。
思い出バリュー以外に存在価値がないものは、思い切って捨てる。

昨日は、古い手紙や写真(絶対に焼き増しすることのないネガ)やスケッチや手帳など諸々の処分を決行。
とはいえ巨大氷山のほんの一部なのだが、それでもかなり気分は爽快だ。

燃えては現れる灰の薔薇とともに、縛られていた何かが消えていく感じ。
思い出の火葬。うーん、これは爽やか!

ちょっとクセになりそうです。(っていうか、クセにしたい)
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by chiori66 | 2010-05-09 21:02 | つれづれ日々の泡


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