責任者をだせィ! on the web

kipple.exblog.jp
ブログトップ
2004年 09月 21日

倒木を悼む

a0011442_0452723.jpg
ニセコの家の裏山に台風の被害を見に行った。
札幌からの道々も、痛々しいほどのたくさんの木がマッチ棒のようになぎ倒されいるのが見えた。全く被害のない場所もあれば、大量の倒木が不思議な流れをつくっている林もある。風の通り道なのだろうか。

さてニセコの湿地帯の雑木林の中は思ったほどの被害ではなかったが、それでも所々折れたり倒れたり、飛んできた小枝が散ったりしている。
沼地の中央に生えていた一本のヤチダモが、文字通り根こそぎ倒れていた。直径40cm以上はあるだろうか。足元を流れる小川と沼の水を吸って、かなりの高さにまっすぐ伸びていたらしい。それがそのまま真一文字に、林の中に横たわっている。
ぎっちりと身の入った重い樹であることは、その堂々とした存在感からも一目でわかる。
むき出しになった巨大な根は意外なくらい繊細な編み目をなしており、今までに水と一緒に吸い込んできたらしい小石や、どこからやって来たのか藍色の陶片までその編み目の中に取り込まれていた。

さてしかし、この木は死にかけている。
倒れた象をどうしてやることもできないように、この木もゆっくり死ぬのを待つだけなのだ。



どうせならここから切り出し製材して、それで何かを作ってその後を生かしてあげたいところだが(タモは良材だし)。せめてこの木の生きていた証に。
しばし方法を考える。ためしに全力で押してみるが、当然のことながらびくともしない。でもこの重量だと、重機も入れない沼地から平地に持っていくのは至難の業だろう。放っておけばあとは朽ちて林の地面に還るだけだ。切ないなぁ。植樹したとも思えないこの鬱蒼(うっそう)とした湿地でここまで成長し、思いがけない嵐で命を終えるこの樹に敬意を表し、思わず黙祷。

と、よく見てみると、根と一緒に掘り返された地面にはその分の大きな穴があいている。その中に清流が流れ込み、新しい小さな池が出来ていた。
ひとつ失うと、ひとつ新しいものが生まれる。森の中ってうまくできているものだなぁ。この倒木のおかげで入る日差しに,今度は実生の木や草が生えてくるかもしれないのだ。あっという間にこの木も朽ちて大地とそこに住む生物たちに養分を与え、そういうかたちで生きていくのだろう。
それならそれで、これでいいのか。
ちょっとだけ晴れやかな気持ちで湿った林をあとにしたのだった。
[PR]

by chiori66 | 2004-09-21 00:58 | つれづれ日々の泡


<< パシャ!      音楽的知性とは >>