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2005年 10月 05日

家具と無頼とチェット・ベイカー

今年になって、このブログに訃報ばかり書いている気がする。
誰かの死の報に接するにつれ、無性に言葉が思いがあふれてきて、書かずにいられない。

家具デザイナーの佐々木敏光さんが急逝された。56才である。
「家具デザイナー」というのは、業界以外の人にはあまり名前を知られていない存在だろう。しかし佐々木さんはまちがいなく日本を代表する家具デザイナーの一人。だった。
だった、と過去形で語るのが悲しいけれど。

この知らせをごく短いメールで知った瞬間に、色々なことが思い出され頭を駆け巡る。
どうしようかと思ったけれど、やはり書かずにいられない。(でも極私見による思い出話モードなのでご勘弁を…。)





佐々木さんと初めてお目にかかったのは、今から10年近く前、私が2年ちょっとの留学を終えてデンマークから戻ってきてすぐ、ほとんどその足で当時渋谷近くの青葉台にあった「BC工房」という家具ショップでのグループ展に参加した時だったと思う。
家具やるぞー!と訳もなく燃えていた私は、BCの名物オーナーであり家具プロデュ−サーの鈴木恵三さんを介して、本当に色々な方々を知った。

今はオリジナルのチークの家具やテーブルをメインにしているBC工房だけれど、当時は有名無名を問わず様々な人が集まっていた。毎年11月にあったパーティなどは、デザイナーや編集者、家具屋にバイヤー、学生その他諸々が入り乱れ活気とエネルギーに満ちていた。刺激的だった。
家具やるぞとは言ったものの、その業界の何たるかも誰がどうでなども全く知らず飛び込んだ、というより居合わせたという感じで、「とりあえず色んな人と会おう」というコンセプトだけでその場に小判鮫の如くくっついていたという方が正しい。

人が集まる所にお酒があって、お酒がある所に議論があり、議論があれば喧嘩も始まる。そういう感じで、たくさんの人がうろうろしていた。そこで出会った「家具デザイナー」という人種は、私がまだバブル学生だったころ雑誌やバイト先で見たクールでスノッブなデザイナーとはほど遠く、めちゃめちゃ率直かつ正直でやたらと熱くて人間くさい魅力的な人たちだった。
(そうそう、佐々木さんと話をすることになったも、ここじゃ書けないバカ!のつくほど正直なコメントがきっかけだったのだ。)

鈴木さんをはじめ、私の師匠であるデンマーク在住の家具デザイナー・岡村孝、岩倉栄利さん、佐々木さん、収納家具メーカーの大谷さん、阿久津宏さんなんかもいた。
そうそうたるメンバーである。そのそうそうたる人たちが、悪ガキのように集まって、飲んで酔って、議論して、喧嘩して、泣いて笑ってたりする。今や超売れっ子の小泉誠さんはその酔っぱらいの介抱させられていたりして。
そんな大先輩たちを、私は勝手密かに「デザイン無頼派」なんて呼んだりしていた。

プロダクトデザイナーは基本的に一匹狼な人種である。
これは以前海外のある建築家に言われた事。
「ランドスケープアーキテクトにはみんなで作り上げる社会性がある。建築家も同じ。でも家具デザイナーはどうか?「俺が」が強くて、私はキライ。」
…たしかに、そうかも。一理あるかも。

その一方で、うちの岡村師匠がよく口に出していた事も思い出す。
「俺たちフリーのデザイナーは常に真剣勝負で生きてるんだ!おまえら200年も悠長に生きてるつもりでいるのか?」

真剣勝負で生きている一匹狼たち、実はさびしがり屋の心やさしい男たちなのである。
お互い口は悪いし言いたい事を言い合って、刺激しあってそれぞれに素晴らしいデザインを産み出し、それでも深い所の信頼でつながっている関係。(男の友情っていいわねーと思ったものです。)
今どきの若いデザイナーなら「うざい」なんて敬遠しそうな、ある意味、古風で蛮カラな。そこに居合わせそれを間近で見ることは、非常にスリリングでありラッキーだった。

カッコいいもわるいも含めて、デザインは人なんだ。その人の人間性が如実に現れるものなんだ。
ということを間接的に教えられた場だった気がする。
人が如実に表れるからこそ真剣勝負なんだ。
よいデザインを作るためには、よく生きなくては、と。
(…その「よく」が世間的にいう「良く」や「善く」であるかどうかは別として。)

*     *    *    *    *    *    *    *
話は変わって。

一度、熊本に佐々木さんの仕事場を訪ねたことがある。熊本空港に近い「村」に「字」のつく田舎である。
愛車のシルバーのポルシェで迎えに来てくれた佐々木さんは、いきなりその足でつっかけ履きに買い物ビニール袋に入った手ぬぐいを持って、山の村営銭湯(健康ランド?)みたいな所へ連れていってくれた。いや、連れて行かれた。
ポルシェと温泉。そのギャップが、へ?という感じだったのだが、飾らない愛すべき人柄が表れているようでおかしかった。(時速180kmを体験して「恐怖が過ぎると人間は笑ってしまう」という事を知ったのもその時だ。)

街路灯もないような田舎道沿いにご近所さんのクラフトマンたちを訪ね、当時手がけていた飛騨産業の「クレッセント」のスケッチなど見せてもらったり、デザインについて夜更けまで話をした。「デザインは生ものだから、出し惜しみしないですぐに出さなければだめだ」という言葉が印象的だった。熊本伝統工芸館との関わりなど、グローバルな活躍をしている方なのに地元にもしっかり根づいてやっている、そんな印象も持った。

地方にいても、地方から世界にデザインは発信できるんだよ、ということを目の当たりにして、私も北海道でやっていこうと決心したのだった。
田舎に住んで世界のレベルの仕事をするなんて、カッコいいじゃん!とミーハーにも思ったのだった。
東京に出て行くべきなのかぐらついていた私が、地方にいて何がやれるのか試してみよう、地方にいてプロダクトで食べていこうと決めたのは明らかに佐々木さんの影響である。
九州と北海道。日本に上と下の端っこにそんなデザイナーがいるのも日本全体とすれば面白いんじゃないかな、と。

それが結果どうなのか、そもそも自分はそのとき目指したような場所にこの10年間で辿り着けていたのか。
自分に問うてみる。久々に初心を思い出した。ちょっと切ない感じで。

最後にお目にかかったのはいつだったか。数年前、銀座でのオープニングパーティの席だったと思う。
久しぶりに、そういえば佐々木さんどうしているかなぁと、ぼんやり思っていた矢先。
知らせを聞いた瞬間より時間が経つにつれ、この訃報はじわじわと痛いのだった。


余談ですが…
佐々木さんの仕事場にはかなり立派なスピーカーがあって、その自慢のサウンドシステムでレッドツェッペリンを大音響で聞かせてもらった。ジャズボーカルのチェット・ベイカーもそこで初めて知った。
少年のような中性的なチェット・ベイカーのボーカルの、リップノイズまで聞こえそうな濃密で官能的な音空間、その魂が震えるような凝縮されたひとときの体験を忘れる事ができない。
振り向いた時の佐々木さんの、ごつい体躯に似つかわしくないような「どうだい」と誇らしげな照れたような笑みとともに。

心よりご冥福をお祈りします。
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by chiori66 | 2005-10-05 03:15 | つれづれ日々の泡


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