2006年 07月 18日

逆檸檬症候群

想像力が豊かなのは結構なことだが、逞しすぎるのもどうかと思う。
短い話をだらだら長く話すとこういうことだ。

その前に、先日思い出したこと。

時間つぶしにスーパーの本屋をぶらぶらしていたら書棚に梶井基次郎の文庫本があって、懐かしくなってパラパラと立ち読みをする。
梶井基次郎の短編はたしか中学校だか高校の国語の教科書にも載っていたと思う。誰でも知っているのは『檸檬』だろう。

 なんとも憂鬱な気分で街をぶらついている「私」は、果物屋で買ったレモンを着物の袂に丸善に立ち寄る。「私」はふと思いついてあたりの洋書を手当り次第に積み上げ、そのてっぺんに今しがた買ったレモンをそっと載せてその場を立ち去る。息詰まる丸善がレモン爆弾でこっぱみじんに吹き飛ぶ想像をして、晴れ晴れと愉快な気分に浸りながら。

 ただそれだけの掌編だが、私はこれが大好きだ。今まで読んだものの中で一番好きな小説かもしれない。



  写真で見る梶井基次郎は醜男である。当時の写真映りもあるかもしれないが、いかにも繊細な文学青年然とした芥川龍之介とか萩原朔太郎などと比べるまでもなく、まるで旧制高校野球部の外野手(しかも補欠?)という風貌だ。
その醜男の基次郎の内面に、こんな繊細でナイーブで悪戯な感性が息づいていたなんて!しかも人生あんまりいい思いもしないうちに死んじゃうなんて。そう考えるとなんとも愛おしい気持ちになってしまうのである(醜男万歳)。
  基次郎はんよ、あんたもっと長生きしてたらあたしが女房になってあげてたのに!

…という話はどうでもいいとして。

  自分にとっての『檸檬』の魅力は文芸として云々というより、この基次郎の想像力にものすごく共感してしまう自分の性質ゆえだ。私ほんとにねぇ、自分自身の密かな妄想癖には少なからず恥ずかしさを感じている。
  一旦そのスイッチが入るとあっという間に妄想世界が構築され、それは手に取るように鮮明な上に、その中の登場人物がすっかり自分に憑依してしまう。
  この感覚を近頃『こころのコスプレ』と呼んでいる。危ない?いいの、これはあくまでコスプレだから。別に社会に危害を加える類いのものではないので。
(なーんて今私が犯罪を犯したら、間違いなくこの文章はニュースに引用されるだろうな。)


さて、閑話休題。

  親が田舎に古い家を持っており、年に数回その裏の雑木林の整理をするのが仕事になっている。整理と言っても、生い茂った熊笹を刈ったり冬場の雪で落ちた下枝を片付けたり、別にやらなくてもいいようなものなのだけれど、やればやったで珍しい植物や昆虫を発見したりと結構楽しい作業なのだ。

さて今年も、いつものように草刈り鎌と選定鋏を手に雑木林の中に入る。夏場は思わぬ障害が多いため、軍手に長靴、首巻き手ぬぐいという野良仕事スタイル。
邪魔で不気味な巨大フキを鎌でスパッスパッと斬首刑に処しながら、熊笹をなぎ倒しつつ前進。
毎年毎年しぶとく復活するクマ笹の野郎め、許せん。実生の楓がこんなに大きく育った!あら、エンレイソウに真っ黒い実がついている?なんだ、この奇妙な虫は…。

…などなど、とりとめもなくアルファ波出まくりの森林浴を楽しんでいると。振り下ろした鎌の先にコツンと当たるものあり。

  土からほんの少し出ている銀色の金属片を鎌で持ち上げてみると、それは1リットルサイズのビールのアルミ缶だった。このサッポロビールのラベルは軽く15年以上前のもの。うわっ、なんでこんなところにゴミが捨ててあるんだよ…。
  一気に興ざめしながらそのあたりを突ついてみると、新旧取り混ぜた空き缶やヤクルトやプリンのカップなどが次々と出てくる出てくる。
  恐らく、山菜採りに入った誰かか、工事の作業員か、通りがかりの心ない人間の仕業に違いない。

  自然色の中にそぐわない毒々しい赤や青、飲み食いの生々しい記憶をとどめる残骸、よりによっていつまでも腐らないアルミやプラスチックの存在自体の厚かましさ。そして何より、それらを偶然ではなくこの山林の中に埋めていったとおぼしき見知らぬ誰かの行為、それを命令した意思…。

  大自然の中の人工ゴミほどしみじみと吐き気を催させるものはない。腐った果物にたかる蛆(うじ)や、はぐった石の下でうごめく蟻の大群の方がまだましだ。
森林の爽やかさは一転して、本当に今すぐここを立ち去りたいような不快感に変わった。

 次から次へと土の中から掘り起こされたゴミはあっという間に小山をなり、まわりの風景から浮きあがった「情念」やら「業」やらの妖気を放っているように見える。
とりあえず見えるものはすべて堀り出そうと夢中でゴミの発掘を続けるうち、そのあまりのおどろおどろしさゆえか、
「こんなところから白骨がでて来たらどんなだろう」という想念がどこからともなく湧いてきて脳裏をよぎる。

おりしも朝から、道を横切る毛虫を見て「特別な物体の持つ特別な存在感」(オーラというか)について考えていたところだった。
土色と緑の視界の中で単なるゴミですらこんなに風景の中から浮いて見えるのだ。もしも白い棒状の物体が土の中から出てきたら…?ほんの小さな骨片でも存在感は相当なものに違いない。そんなものを掘り当ててしまったら一体どうすればいいんだろう?

その時、鎌の先にゴリッと硬い何かが。
「ひゃ〜!き、きたァ…!!!」
恐る恐る掘り返すと、それは20センチほどの石片だった。…あーもうびっくりさせないでよ〜。

突然わけもない疲労感に襲われ、完全発掘は断念することにする。
「もういいや、ゴミはあとで袋に集めて処分しよう…」

 気を取り直して目の前に視線をずらすと、少し盛り上がった斜面の一面に可愛らしい下草が。その中央に大きなつぼみをつけた見事なウバユリの茎が一本、空を目指してすっと立っていた。
やっぱり野草はかわいいなぁ…。

 瞬時心がなごみ、1m以上はゆうにあるウバユリを近くでよく見ようとと斜面に踏み出した時、足元に不思議な違和感を感じた。
あれ?どうしてここだけこんなに土が軟らかいのかな…。

一歩さがって一帯を注意深く観察する。
そういえばここだけクマ笹が全く生えていない。生えている下草も新しいものばかり。
そもそも、こんな斜面前からあったっけ?ここいら辺は石がゴロゴロしているから土質のなだらかな斜面などそんなになかったはずだ。いやよく見るとこれは斜面というよりも、むしろ盛土みたいじゃないか?
そう、ちょうど人が一人横たわると丁度いいような…。

「この下に人が埋められている…」

この場所ならひと気もない上に道からも近い。隣の農家へは50mはあるし人通りもほとんどない。遺棄するにはぴったりのロケーションだ。
ロープを張りめぐらされた中で事情聴取を受ける自分の姿が鮮明に浮かぶ。赤い回転灯が静かに回る数台のパトカー。平和な田舎町に大挙する報道陣。
ほら、あそこよあそこ、死体が発見されたのは…。気持ち悪いわねぇ…伊藤さん気の毒ねぇ…(遠巻きにヒソヒソやる近隣のおばさんの声)。

そういえば瑞々しいウバユリは不気味に美しい墓標に見える。昆虫の亡骸に寄生する冬虫夏草を思い出した。まちがいない。…ヤバイ!

「ここからたとえ白骨遺体が発見されたとしても、私はこの森林を愛す!」
心の中で誓いつつゴミの山もそのままに、恐怖に後ろ髪を引っ張られながら一目散にその場所を逃げ去ったのだった。


      *       *       *       *    

翌朝、現場に立ち戻る犯人のごとく半信半疑で戻った私の目に映ったその場所は、どう見たってどうってこともない里山のどうってこともないけもの道でした。
…ああ、いい年して自分のこんな逞しすぎる想像力がイヤ。

そういえば、「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いたのも梶井基次郎だったっけ…。あなた、他人とは思えません。
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by chiori66 | 2006-07-18 01:05 | つれづれ日々の泡


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